東京オリンピックアーチェリー代表に決まった早川漣(はやかわれん)選手。
ロンドンオリンピックで女子アーチェリーに日本初のメダルをもたらしたベテランで、東京オリンピックでの金メダル獲得最有力選手です!
そんな早川漣選手は結婚しているのか、どんな経歴か、気になりますよね。
そこで今回は、「早川漣は結婚しているの?アーチェリー五輪メダリストの経歴も!」と題し、早川漣選手の素顔を探ります!
この記事では
・早川漣選手選手の経歴は?
・早川漣選手選手ってどんな人物?
このような疑問を解決します。
早川漣は結婚しているの?
まずは早川漣選手のステキな姿を見てください。
真剣そのものですね。
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早川漣選手は、アディダスがステラマッカトニーとコラボしたブランド「adidas by Stella McCartney」2021春夏コレクションのキャンペーンビジュアルモデルにもなっているんです!
https://fashionpost.jp/news/193960
大地のしなやかさが感じられて、なんてかっこいい!
こんなにステキな早川漣選手は、やはり結婚しています。
韓国でトップクラスのアチェリー選手として活躍した金星辰さんと2019年夏に結婚しました。
金星辰さんは長崎や福岡で指導者として活躍した後、現在はJOCエリートアカデミー男子のコーチを務めています。
早川漣選手と金星辰さんは長崎で出会ったとか。
第二の故郷とはいえ成人するまで韓国で育った早川漣選手は日本での苦労も多かったはず。
故郷も競技も共通する金星辰さんは、早川漣選手の心の支えになったのではないでしょうか。
金星辰さんは早川漣選手に助言や指導もするそうです。
早川漣選手によれば、金星辰さんの指導は「厳しい」けれど、
「だめなことはだめだと言ってくれて迷いなく競技に集中できる。
今までそういう人がいなかったので感謝している。」
と、五輪メダリストに意見を言う貴重な存在に感謝している様子。
早川漣選手と出会ったとき、運動選手としての筋肉が足りなかった気がしたという金さんは今も料理を担当。
早川漣選手の体重を増やすため栄養バランスを考えた食事をつくっているです。
得意料理は韓国名物の肉料理プルコギで、夫の手料理のおかげで早川漣選手は交際期間中から約2年で10kg以上の増量に成功し、今は弓が軽く感じるほど。
オリンピック出場の夢が叶わなかった金さんは、妻である早川漣選手のオリンピック出場には特別な想いを抱いているはず。
夫婦で迎えるオリンピックは、ぜひ金メダルを狙ってほしいです。
早川漣選手の経歴は?
早川漣選手の経歴をまとめました。
生年月日 | 1987年8月24日 |
---|---|
身長体重 | 180cm 75kg |
出身地 | 韓国 全羅北道全州市 |
所属・学歴 | 株式会社デンソーソリューション 株式会社チョープロ兼V・ファーレン長崎 長崎国際大学 長崎県スポーツ専門員 日本体育大学 |
主な成績 | 2010年日本選手権優勝 2011年アジア選手権個人3位 2012年ロンドンオリンピック女子団体銅メダル 2014年長崎国体団体優勝 2017年ワールドカップ上海大会個人3位 2017年ワールドカップトルコ大会団体準優勝 2017年ワールドカップベルリン大会混合準優勝 2018年ワールドカップソルトレイク大会団体3位 2018年欧州グランプリブルガリア大会個人・団体準優勝 |
早川漣選手は幼い頃両親が離婚したため、2007年までの約20年間を父の故郷である韓国で過ごしました。
アーチェリー最強の韓国で小学3年のときにアーチェリーに出会い、全北体育高校を経て実業団に進みました。
日本人と再婚した母を頼って2004年にすでに来日していた姉の早川浪(なみ)に、「一緒にオリンピックに出よう」と誘われたことがきっかけで、2007年、半年で韓国の実業団をやめ、来日して日本体育大学に入学します。
韓国でエリートコースを進んできた早川漣選手は、さぞアーチェリーが好きかと思いきや、「アーチェリーをやっておけば中学、高校に行けるから仕方なくやったという感じ」で、韓国の実業団を去るときも「未練はなかった」そうです。
2009年には日本国籍を取得、姉の早川浪選手の「あなたならできる。安心して。」の言葉で2012年ロンドンオリンピック女子団体で銅メダルを獲得します。
右肩痛に悩まされたこともあり、2014年秋の長崎国体を最後に競技から離れ、約1年半の間、長崎国際大で指導者として活躍。
その後周囲からの勧めもあり「支えてくれた方々、応援してくれる会社のためにも恩返しがしたい」と2016年4月に競技者として復帰、直後の2017年からワールドカップ個人戦・団体戦で入賞を果たします。
一度引退した後に復帰し、オリンピック出場まで獲得してしまうなんて、びっくりですね!
そんな早川漣選手が高校生へ送る言葉が
「やればできる!!」
やりたくてもできない、やってもできないことがたくさんあるかもしれないけれど、自分が今何をしたいか明確な目標を持つことが大切。
この時期にしかできないことを思い切りやろう。やればできる!!
https://www.youtube.com/watch?v=7UYqes38O4U
早川漣選手に満面の笑みで「やればできる!!」と言ってもらえれば、高校性でなくても、がんばれそうな気がしてしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=7UYqes38O4U
早川漣選手は選手たちのお姉さんでムードメーカー
選手として経験豊富な早川漣選手は、若手選手たちのお姉さん的存在でムードメーカー。
団体戦直前で選手みんなが緊張してしまうようなときでも、陽気で明るい早川漣選手は、仲間に話しかけ、笑いを誘って雰囲気を和ませてくれるそうです。
それは、早川漣選手がアーチェリーという競技の辛さ・楽しさ両方を知り、アーチェリーを
早川漣選手が強化選手として競技人生を始めた韓国では、学校へ行っても授業は受けずに一日中しい練習をこなしていました。
練習は厳しくコーチも先輩も怖く、アーチェリーが嫌いだったそうです。
あまりに辛かったので、ついにアーチェリーをやめよう、と思った高校2年の冬、
早川漣選手は、まったく授業についていけなくなっていた自分に気づき愕然としました。
約10年間アーチェリーをやってきて、こんなに練習しても、私にはメダル1個もない。
かといって勉強もできない。
「高校をやめたら私は一体どうなるんだろう。」
現実を突きつけられた早川漣選手は、このときになって初めて
「メダルをとりたい。がんばってみよう。」
と強く思ったそうです。
そんなとき、先に母を頼って日本に来ていた姉の早川波選手の言葉で日本へ行くことを決意します。
「韓国と違って日本で競技するのは楽しいよ。韓国とは雰囲気が違って、みんな好きだからやってる。」
2009年に来日後、初めて参加した大会で4位しか取れなかったのに、会うたびにみんなにおめでとうと言われ感動。
まわりがいつも応援してくれてうれしい、ちゃんと恩返しがしたい、という気持ちが強くなったそうです。
勝ち負けだけはなく、好きだからアーチェリーをしている。
そんな選手でいられるよう、ずっと楽しく競技ができるように願う早川漣選手だからこそ、若い選手にも優しく声をかけられるのでしょうね。
「東京に出るからには全種目(個人、団体、混合)で金メダルと言いたいところですが、団体での金が一番欲しいです」
東京オリンピックへの意気込みからも、「メダルは仲間といっしょにとりたい」という早川漣選手らしさが感じられます。
まとめ
以上、「早川漣は結婚しているの?アーチェリー五輪メダリストの経歴も!」をご紹介しました。
今回のオリンピックは、よき理解者である最愛の夫がついています。
ぜひ金メダルを獲得してほしいですね!