東京オリンピックアーチェリー代表の中村美樹(なかむらみき)選手。
遅咲きながら、初のオリンピック代表を射止めた努力の人。
今から活躍が待ち遠しいですね!
しかも、目元が眞子様似でさわやかなんです。
中村美樹選手の出身校はどこか、どんな経歴なのか、気になりますよね。
そこで今回は、「中村美樹アーチェリーの出身校は?目元が眞子様似のさわやか選手!」と題し、まだあまり知られていない中村美樹選手の素顔に迫ります!
この記事では
・中村美樹選手の経歴は?
・中村美樹選手ってどんな人物?
このような疑問を解決します。
中村美樹アーチェリーの出身校は?
まずは中村美樹選手の動画を見てください。
マスクの上の目元が眞子様に似てますよね?
後ろはザーザー雨が降っているのに、とっても明るく元気な声で「ありがとうございま~す!」と、さわやかな中村美樹選手、素敵ですね~。
世界選手権最終選考会、終わりました!
みなさんの応援のおかげで、世界選手権の代表になることができました。
これからもがんばります!#ハードオフ #アーチェリー#中村美樹 #世界選手権#日本代表 pic.twitter.com/hSS379cv4J— ハードオフアーチェリークラブ【公式】 (@hardoff_archery) April 4, 2021
中村美樹選手の出身高校は、山形県鶴岡工業高校です。
鶴岡市と言えば食の都。「だだちゃ豆」などの伝統野菜が有名ですね。
日本で唯一「ユネスコ食文化創造都市」に認定された、地元の食を大切にする都市として知られています。
中村美樹選手がアーチェリーに出会ったのは鶴岡三中1年のとき。
新入生への部活動紹介で、先輩が矢で風船を割るパフォーマンスを見て入部を即決したそうです。
母の峰代さんさんが「小学校の運動会はいつもビリだった」というくらい、運動が苦手だったという中村美樹選手。
アーチェリーを続けられるのかという家族の心配をよそに、「ちゃんと撃てば的に結果として出る。それがうれしかった。」と、中村美樹選手はアーチェリーにのめり込みます。
中村美樹選手が練習したのは山形県鶴岡市にある小真木原南多目的広場。
ここでアーチェリー漬けの日々を送りました。
「誰よりも早く準備して撃ちたかった」中村美樹選手は、学校の授業が終わるとすぐに小真木原の広場へ自転車を飛ばしたといいます。
同学年の女子部員と得点を競い合い、1点勝った負けたで喜んだり泣いたりしたそうです。
部活動が休みの土曜は地元協会が主催するクラブへ行って練習するほど熱心に練習に励みました。
鶴岡工業高校3年のときにはインターハイで個人3位入賞を果たし、日体大へ進学、大学在学中の2014年には世界室内選手権で準優勝を果たします。
中村美樹選手の経歴は?
中村美樹選手の経歴をまとめました。
生年月日 | 1992年9月12日 |
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身長体重 | 162cm 74kg |
出身地 | 山形県鶴岡市 |
所属・学歴 | ハードオフ 日本体育大学 鶴岡工業高校アーチェリー部 |
主な成績 | 2014年世界室内選手権準優勝 2017年ワールドカップ団体準優勝 2019全日本実業団大会優勝 |
学生時代まで順調に成長を見せていた中村美樹選手ですが、オリンピック初出場までの道のりは決して平坦ではありませんでした。
2015年、日体大で指導していたアテネ五輪銀メダリストの山本博氏の勧めでハードオフに就職した中村美樹選手は、
2017年ワールドカップで団体準優勝を決めたものの、直後から不調が続きます。
練習に身が入らず食欲もなくなり、夕食はサラダしか食べられないときもありました。
不調の中、2018年のナショナルチームに落選すると「気持ちを切りかえなきゃ」と、大学時代からの練習拠点だった横浜を離れ、実家のある鶴岡へ戻ることを決意します。
ハードオフ山本善政会長の計らいもあり、同年4月から、仕事は新たな勤務先で、練習は中村美紀選手にとってアーチェリーの原点ともいえる小真木原の広場で再スタートを切りました。
高校時代の恩師野崎剛氏の指導と母の食事管理が功を奏し、2019年のナショナルチームに復帰した中村美紀選手は次第に調子を取り戻しました。
雪の深い冬でも長い距離で撃つ練習ができるよう、地元企業が工場を練習場所に提供するなど、鶴岡の人たちも中村美紀選手を支えています。
オリンピックでよい結果を届けることが何よりの恩返し、と中村美紀選手も練習に励んでいます。
「コロナ禍の中で県民にとって希望の光」と、鶴岡市民の期待も大きいことは言うまでもありません。
中村美紀選手はどんな人物?
中村美樹選手はアーチェリーの教育や普及活動にも熱心です。
自身がアーチェリーを始めた原点、そして不調の中、再生を果たした原動力にもなった山形県鶴岡市の「小真木原の広場」で、子どもたちへアーチェリーの指導をしています。
「私も同じ気持ちだった。上達するのが楽しかった」と、ぐんぐん上達する子どもたちに自分の子ども時代を重ねる中村美樹選手。
きっとより多くの子どもたちにアーチェリーの楽しさやおもしろさを伝えたいのでしょう。
決して順調ではなかったこれまでの経験があるからこそ、不調に苦しんだ先の見えない闇をかき分けてきたからこそ、中村美樹選手はアーチェリーを続けるほんとうの喜びを知っているのだと思います。
まとめ
以上、「中村美樹アーチェリーの出身校は?目元が眞子様似のさわやか選手!」をご紹介しました。
さわやかな笑顔の陰には長く苦しい道のりがあったことがわかりました。
私はそんな中村美樹選手を応援します。
苦労して射止めたオリンピック初出場で、思い切り金メダルを狙ってほしいです!