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東京オリンピック・パラリンピック

寺西真人の経歴は?パラ水泳木村敬一選手のタッパーが目指す金メダル

パラリンピック水泳のエース、木村敬一選手の「タッパー」で、ともに金メダルを目指すのが寺西真人(てらにしまさと)さん。

視覚障がいを持つ水泳選手の眼となるタッパーを長く務め、いくつものメダル獲得に活躍してきたベテランです。

今回は、名タッパー、寺西真人(てらにしまさと)さんはどんな人物なのか調査しました。

この記事では

ツグミ
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・寺西真人さんはどんな人物?
・「タッパー」はどんなことをするの?
・寺西真人さんの夢は?

このような疑問を解決します。

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寺西真人の経歴は?

寺西正人さんは、担当選手たちをバルセロナからロンドンまで、パラリンピック6大会に導いてきた、この道30年の大ベテラン。

金メダル5個を含む21個ものメダルを持つ河合純一さんを育てたことでも有名です。

現在は東京オリンピックで金ダルを狙う木村敬一選手をはじめ、トップ選手たちのタッパーとして活躍しています。

寺西正人さんの経歴をまとめました。

生年月日1959年 7月 26日
出身東京都
所属・学歴パラリンピック水泳日本代表コーチ、タッパー
筑波大学附属視覚特別支援学校教諭
筑波大学付属高校体育非常勤講師
日本体育大学
筑波大学付属高校
筑波大学附属中学校
主な担当選手木村敬一
秋山里奈
河合純一

 

寺西真人が視覚特別支援学校で受けた衝撃

両親も親戚も教員ばかりの教員一家に生まれた寺西真人さんは、自らも体育の教員を目指し日本体育大学に進学します。

母校の筑波大学付属高校で非常勤講師をしていたとき、となりの筑波大学附属視覚特別支援学校からも依頼を受け、2校のかけもち勤務を開始。

視覚障がい者とのかかわりがなく、初めは戸惑った寺内真人さんも、体育の授業に一生懸命取り組む生徒たちの真剣さと運動能力の高さに衝撃を受けます

視覚障がい者との出会いで「すっかり人生が変わった」という寺内真人さんは、午後の支援校での授業が毎日楽しみで仕方なかったといいます。

寺西真人さんは名コーチ

教職に就く前に子ども向け水泳教室を開いていた寺西真人さんは、たったの3日間で25メートル泳げるようにさせたほどの名コーチでした!

 

寺西真人が拓いた河合純一選手のパラリンピック出場

河合純一選手をパラリンピックへ導いたのも寺西真人さんでした。

なんと翌年支援校の教諭になった寺内真人さんが2年目に水泳部を立ち上げた翌年に河合純一選手が入学!

深さ1m、長さ12mという小さいプールで、着衣で軍手をして負荷をかけるなど工夫を凝らし練習します。

そして入学わずか2か月後の大会で、河合純一選手は国内トップ選手に勝つという、衝撃的なデビューを飾ります。

 

「それだけ速く泳げるなら来年のバルセロナ・パラリンピックに出られるかも」

関係者の言葉に驚いた寺内真人さんは、出場資格を得るべく、すぐさま河合純一選手と日本パラ水泳連盟の公式大会に出場。

公式大会、代表選考会で記録を残し、見事バルセロナ出場を決めます。

翌年1994年、17歳の河合純一選手はバルセロナパラリンピックに出場し、みごと銀メダル2個と銅メダル3個を獲得しました。

その後、河合純一選手は2012年ロンドンパラリンピックまで出場し、金5個を含む、歴代日本人最多21個のメダルを獲得。

2016年には日本人唯一のパラリンピック殿堂入りを果たし、一般社団法人日本パラ水泳連盟の会長を務め、日本の障がい者スポーツ振興に活躍しています。

 

寺西真人が務める「タッパー」とは?

タッパーとは、プールサイドから「タッピング棒」で視覚障がい選手の頭や体を軽くたたき、ターンやゴールのタイミングを知らせる、重要な役割。

いわば「選手の眼」です。

ツグミ
ツグミ
タッパーの手腕しだいでメダルの色が変わるといわれているのよ!

タイミングを間違えると選手に怪我をさせてしまうこともあるので、タッパーは選手に対し重い責任を負います。

また、選手が泳ぎ終わったときには自分の脈拍も上がっているほど「選手と一緒に泳いでいる」気持ちで競技に臨む、過酷な仕事です。

 

寺内真人はタッパーのパイオニア

1992年、河合純一選手が高校2年で出場したバルセロナでパラリンピックは、寺内真人さんにとっても初めての経験でした。

視覚障がい者が泳ぐ文化さえなかった当時はタッピングはしてもしなくてもよかった時代。

しかし、タッピング次第でメダルの色が変わってしまうのも事実

そこで、寺西真人さんは独学でタッパー技術を学び始めます。

 

>初代のタッピング棒は、なんと木製のモップの柄!

先には、子どもがプールでつけるヘルパーという浮き輪を切ってつけました。

木製のモップの柄は劣化が早いため、次に使ったのは生徒の落し物の白杖。

軽くて重宝しましたが、河合純一選手の上達に合わせ長いタッピング棒が必要になりました。

試行錯誤の上たどり着いたのが「釣り竿」

タッピング棒の素材に規格のない現在も、先にウレタン製の玉を取りつけた釣り竿を使っています。

 

複数選手のタッパーとして活躍する寺西真人さんは、間違えないよう、タッピング棒に選手と種目名を書いて貼り、使いわけています。

選手によって、シーンによってタッピングの出し方が変わるので、失敗は許されない、という寺内真人さん。

たたかれてからの伸びがタイムを左右するので、できるだけ引き込みたい木村敬一選手のタッピングは直前まで我慢し、0.01秒のレベルで合わせているほど。

金メダル獲得には緻密な計算が欠かせないのですね。

 

タッパーは信頼が重要

タッパーをする上でもっとも大切なことは「信頼関係」という寺西真人さん。

「試合で安定して合図を出してくれて、安心して泳げる」のが理想のタッパーだといいます。

木村敬一選手のタッパー・寺西真人への信頼

木村敬一選手は「寺西さんが失敗するんだったら誰が叩いてもしょうがないし諦める」というほど全幅の信頼を置いています!

>選手と深くかかわりすぎない「適度な距離感」を保つのも信頼維持の秘訣だと寺西真人さんは言います。

木村敬一選手も、寺内真人さんはどんな存在かと訊かれても、うまい言葉が見つからないというほど。

ふたりはがっちりとした信頼でしっかり結びついているんですね!

 

寺西真人が語る夢

寺西真人さんの夢は、もちろん木村敬一選手と金メダルを獲ること。

そのために、2018年、58歳で寺西真人さんは視覚特別支援学校を早期退職しました。

選手が人生をかけて2020年に真剣勝負している脇で、自分も覚悟を決めてサポートしたいという気持ちからのことです。
選手に金メダルを獲らせたい。それがオレの夢です。
https://www.parasapo.tokyo/topics/45951

視覚障害を持つ選手は、授賞式で日本の国旗が掲げられても見ることができないため、メダル獲得の実感がわかないといいます。

東京パラリンピックの授賞式では、どうしても木村敬一選手に「君が代を聴かせたい」と言う寺西真人さん。

「君が代が流れた瞬間、自分が世界一になったんだと実感できる」という河合純一さんと同じ瞬間を、木村敬一選手にも味わってほしいのです。

 

まとめ

木村敬一選手が中学1年の時から「パラリンピックに連れて行ってやる」と約束した寺西真人さん。

ロンドンでもリオでも獲れなかった金メダルを、今、東京で獲ろうとしています。

【参考文献】

・パラサポWEB「パラスポーツを支える『つくりびと』、視覚障がいスイマーの眼となるタッパーの第一人者・寺西真人」2021/8/23
https://www.parasapo.tokyo/topics/45951
・スポジョバ「パラ水泳を支える「タッパー」って何?第一人者に聞く、仕事の歴史と今と未来」
https://spojoba.com/articles/448
https://thekingoflimbs.jp/tokyo-olympic-paralympic/fujii-miho/
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