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東京オリンピック・パラリンピック

杉浦佳子の家族は?パラリンピック自転車選手の出身校や経歴も調査

東京パラリンピックの最有力候補である自転車代表、「ロードの女王」杉浦佳子(すぎうらけいこ)選手。

20代でフルマラソンを完走、30代でトライアスロンに挑戦していたときに自転車に出会ったという、根っからのアスリート。

2017年デビューで、いきなりロード世界選手権タイムトライアルで金メダル獲得、という圧倒的な強さを誇る選手です。

東京パラリンピックでのメダル獲得は間違いなしですね!

この記事では

ツグミ
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・杉浦佳子選手の家族は?
・杉浦佳子選手の出身校と経歴は?
・杉浦佳子選手ってどんな人物?

このような疑問を解決します。

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杉浦佳子選手の家族は?

杉浦桂子選手は結婚され、息子さんと娘さんの2人のお子さんに恵まれています。

夫は 泰 さん、娘さんは まある さん といいます。

詳しい事情は不明ですが、2018年に離婚され、苗字も「野口」から旧姓「杉浦」へ変わりました。

泰さんも自転車選手で、2017には夫婦でレースに出場していました。

杉浦桂子選手のSNSの写真やコメントから、泰さんがレースに出場する前日には体をいたわったり、誕生日をお祝いしたりする様子が伝わってきて、仲のよい素敵なご夫婦という印象を受けます。

結婚生活に終止符を打った杉浦桂子選手は、現在、競技に集中していると思われます。

 

怪我からの復帰は家族が大きな支えに

夫と別々に生きる決断をした杉浦桂子選手も、事故後はきっと家族の大きな支えがあったに違いありません。

杉浦桂子選手が自転車レースとしては2回目のトライアスロンの大会に出場した2016年4月、静岡県で行われたロードレース大会のレース中に落車し、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋骨・鎖骨・肋骨・肩甲骨を粉砕骨折、三半規管損傷の大けがを負い、意識不明の重体になりました。

一命は取り留めたものの、高次脳機能障がいと右半身のまひが残り、二度と自転車に乗れないだろうといわれていた、わずか1年後の2017年3月、実業団レース 宇都宮クリテリウム&ロードレースで競技へ復帰するまでに回復しました。

2018年1月13 日経電子版には「2人の子どもの母親で、長男も実業団で自転車競技をする。夫も全力で応援してくれているという。」とありますので、杉浦桂子選手の復帰には夫の強力なサポートがあったはずです。

 

また、杉浦桂子選手のSNSには、娘の まある さんの作文が載っています。

退院した直後の杉浦桂子選手を支えながら、母へのいたわりから障がいを持つ人すべてへのいたわりに気づく娘さんのやさしさが伝わってきます。

杉浦桂子選手は愛情あふれる家族に恵まれ、支えられてきたことがわかります。

 

イケメン長男も自転車アスリート

杉浦桂子選手の長男も実業団で自転車競技をしているとのこと、母の背中を見て同じ競技を続けるなんて、カッコイイですね!

そこで、国内実業団選手を調べてみました。

野口という名字の選手がひとりしか見つからなかったことから、推測の域を出ませんが、杉浦桂子選手の長男は、川崎を拠点とする実業団「稲城 FIETS クラスアクト」の野口悠真(のぐちゆうま)選手だと思われます。

顔立ちが杉浦桂子選手に似てイケメンですね!

https://twitter.com/J_PROTOUR/status/1267607458916134912

稲城 FIETS クラスアクトは自転車ロードレースの日本最高峰である Jプロツアーに参加する実業団。

野口悠真選手は稲城 FIETS クラスアクトのキャプテンを務めていますので、人望もあついことがわかります。

2019年 第3回 JBCF まえばし赤城山ヒルクライム 11位という成績を残していますので、これからの活躍が楽しみです。

 

実家は曾祖母の代から続く薬種商

杉浦桂子選手の実家も調べてみたところ、曾祖母の代から続く薬種商でした。

子どもが発熱したといってお客さんが来れば、夜中でも店を開いて薬を売り、正月を除き大晦日も営業したといいます。

地域の人がふらりと立ち寄ってはおしゃべりし、血圧などを測って帰るような小さな薬店。

地元の人たちに頼りにされていた薬局だったことがよくわかります。

 

地域の人のために働く母と祖母の背中を見て育った杉浦桂子選手が薬剤師になったのは、ごく自然なことでした。

薬剤師を目指して東北薬科大学に入学したものの、すぐに妊娠・出産して退学した杉浦桂子選手は、薬剤師になる夢を断ち切れず、子どもが寝ている間に猛勉強して北里大学に入学します。

時間確保が難しい中、子育てをしながら薬剤師免許を取得したとは、さすがの集中力です。

 

 

杉浦桂子選手の出身校と経歴

杉浦桂子選手の経歴をまとめました。

生年月日1970年 12月 26日
身長体重155cm 47kg
出身地静岡県掛川市
所属・学歴楽天ソシオビジネス
ウェルパーク・ブリヂストンサイクリング
スポーツファーマシスト
薬剤師
北野調剤薬局
北里大学薬学部
東北薬科大学
掛川西高校
主な成績2019年トラック世界選手権タイムトライアル銀メダル
2018年シーズン主要ロード大会8戦7勝
2017年ロード世界選手権タイムトライアル金メダル

杉浦桂子選手の出身校は掛川西高校、東北薬科大学中退、北里大学薬学部です。

2021年7月21日に、掛川市立中小学校から杉浦佳子選手の家族へ、全校児童の手書き応援メッセージが渡されましたので、杉浦佳子選手の出身小学校は、おそらく掛川市立中小学校と思われます。

 

杉浦佳子選手は薬剤師としても一流

杉浦桂子選手はアスリートのみならず薬剤師としても一流。

大学卒業後に入社した北野調剤薬局という中堅薬局では、新卒で子どもがいるのに雇ってもらい、子育てへの配慮もしてくれた社長へ恩返ししたいという一念で猛烈に働き、気づいたら、主任、薬局長、取締役、そして最後は常務取締役にまでなっていました。

やるからにはとことんやりぬく杉浦桂子選手らしいですね。

 

薬局時代は画期的な取り組みにも挑戦。

介護保険ができる2000年前後から在宅医療に取り組みはじめ、在宅医療を実施している病院からの依頼で家庭へ薬の配達を始めます。

実際に家庭へ行ってみると、薬をあまり飲んでいないのに元気な患者がいるのに気づき、減薬のきっかけになりました。

在宅患者と向き合うことでしか得られない服薬情報を、医師に伝えることによって医療改善したという経験を論文にもまとめています

 

競技への復帰と世界制覇

2016年の事故後、主治医からは「退院後、自宅に戻ることはできない」と告げられていたところ、3か月で自宅に戻ることができた杉浦桂子選手はとにかくポジティブ。

退院後、脳神経外科医の勧めでエアロバイクを漕ぎ始めたら「楽しい」という感情が沸いてきて、リハビリの先生からストップがかかるほど夢中になって漕いだそうです。

 

杉浦桂子選手は事故後半年たったころにパラリンピックと出会い、出場した大会のあまりのレベルの高さに衝撃を受け、闘志に火がついたといいます。

その後練習を重ね、3か月後の2017UCIパラサイクリング・ロード世界選手権のタイムトライアルで優勝。

2018年8月のUCIパラサイクリング・ロード世界選手権2018のロードレース女子C2クラスでも優勝を手にします

2018年は世界8大会中7大会を制覇する目覚ましい活躍で、アジア人初、UCI(国際自転車競技連合)による年間表彰「Para-Cycling Award(パラサイクリング賞)」に輝きました

 

杉浦桂子選手はココがスゴイ!

復帰の速さとデビューしてから世界制覇までの速さがスゴイのは言うまでもありません。

さらに杉浦桂子選手には他にもスゴイところがあります。

 

最強にポジティブなマインド

東京パラリンピックで勝つために必要なのは「努力と根性と若さ」と答える杉浦桂子選手にとって、1年の延期は引退をも考えるほど深刻でした。

50歳ともなれば、更年期障がいも始まり健康維持さえ難しい歳。

スポーツで世界大会出場なんて奇跡に近いですよね。

 

でも、1年延期をメリットととらえるところが杉浦桂子選手のスゴイところ。

この1年間、本格的なウエイトトレーニングで筋肉を鍛え直し、より空気抵抗を受けにくい姿勢を保つことに成功。

鈍くなった平衡感覚を補うため、両腕に体重を乗せてきたことでスピードに乗れなかった欠点を、増強した体幹で克服しました。

 

杉浦桂子選手は、自身の障がいをも、まるごと受け入れています。

ほんとうに、スーパー・ポジティブ!

「自分が障がいを乗り越えてというか受け入れて、目標に向かって努力をして結果を出すということが誰かの励みになれば、それが自分にとって生きている価値だなと思っています」

「障がいっていう言葉にしてしまうと、かなりマイノリティな言葉だと思うんですが。これが逆に欠点とか短所という言葉に置き換えたとしたら、ほとんどの人にあることだと思うんですね。ほかの、自分のいいところをうまく使うことで、逆にすごく楽しく人生を生きられるんじゃないかなと思うんです。どんな人にでも当てはまるんじゃないかな、と思っています」

https://news.merumo.ne.jp/article/genre/8328868

 

どんな課題も解決してしまう柔軟なアイディア

高次脳機能障がいをもつ杉浦桂子選手は、競技への課題も多いことが悩み。

まず、三半規管が壊れたことでバランス感を失い、コーナーを曲がれない、うまくブレーキをかけられないなどの困難がありました。

これは、坂を10回上って10回下るというトレーニングをひたすら繰り返すことで克服

次に、記憶に障がいがあるため、ロード種目ではどこでブレーキを掛けたらよいか、よくわかりません。

そこで、コースのこの看板のところでブレーキ、というように、ブレーキをかける場所すべてを、あらかじめコーチに指示してもらっておきます

 

また、ひとつのことに集中してしまう傾向があるため、走りに集中すると疲労感が感じにくくなります。

疲労を感じないことが強さである反面、レースに集中しすぎると、走っている最中に呼吸を忘れてしまうそうです。

呼吸を忘れては危険なので、専用の器具を使って呼吸筋を鍛えるトレーニングをすることで、苦しいときでも呼吸できる姿勢を体に覚えさせています

チームワークによる地道な努力で、課題を工夫して解決しているのです。

 

限界をつくらない素直さ

杉浦桂子選手の強さの秘密は「リミッターがないこと」というのは権丈泰巳監督。

素直なので、コーチの言うとおりにできるそうです。

コーチが「行け」と言えば行き、「アタックをかけろ」と言えばアタックをかけます。

はじめから「できない」と考えないマインドが、杉浦桂子選手を飛躍的に伸ばしてきたのですね。

 

競技以外での活躍

杉浦桂子選手は薬剤師としても復職し、現在は楽天楽天ソシオビジネスで楽天グループ社員向けの薬局で薬剤師として活躍しています。

また、認知症に関する講演やセミナーも行っています。

自身の経験をもとに、「こういう言葉で言ってもわからないけど、こういうふうに言ってくれるとわかる」と、認知症の人が理解しやすい話し方を伝えています。

どんなに競技で忙しくても、「人のために役立ちたい」という「薬店精神」をずっと持ち続けています。

アスリートであると同時に、薬剤師として、人として、「人を助けたい」という気持ちが強い人だということがよくわかります。

 

 

まとめ

以上、「杉浦佳子の家族は?パラリンピック自転車選手の出身校や経歴も調査」をご紹介しました。

インタビューでは、優しい声でゆっくりと語る杉浦佳子選手。

事故や離婚というハードルを越えた、驚きの精神力の持ち主です。

「今できる自分のすべての力を出し切って満足してやり切って笑いたいなってそんな気がしています。」と意気込む杉浦佳子選手。

パラリンピックでは、ぜひ内側のメラメラした炎を見せる走りでメダルを獲得してほしいです!

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【参考】
・掛川市「杉浦佳子選手を応援(中小の取り組み)」2021/7/21
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/94297.html
・マイナビ薬剤師「華麗なキャリアの舞台裏」「薬読」2021/2/9
https://yakuyomi.jp/small_news/interview_sugiura1/
・NHK「デビューした年に世界一!「呼吸を忘れる」パラ自転車・杉浦佳子」2020/3/25

https://www3.nhk.or.jp/sports/story/2036/
・日本経済新聞「48歳杉浦、初舞台へギア パラ自転車世界王者」2019/8/29
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49156380Z20C19A8UP6000/
・NHK「記憶障害も年齢も乗り越える パラサイクリング・杉浦佳子」2019/8/19
・たま市議会だよりNo.216 「市民と議会つながる」 2018/2/5
https://www.city.tama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000006/6266/216_Part16.pdf
https://www3.nhk.or.jp/sports/story/2877/
・日経電子版「自転車にアラフィフの星 転倒で大けが、パラに転向」2018/1/13
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO25084340W7A221C1US0001/

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